新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

われらの時代ー亥年

 今日は何とか時間が取れたのでこれを書いています。今年は亥年つまりおじさんたちの学年の年です。昭和22年生まれです。
 戦後のベビーブーム真っ盛りです。といってもおじさんは早生まれなので、次の子年です。おじさんの世代は亥年生まれで一番多い年です。200万人ちょっといるようです。
 逆に一番少ないのが12歳です。確か100万ちょっとだと思います。つまり72歳が12歳の2倍いるということになるのです。
 ところで、今おじさんは「給食の歴史」(岩波新書)を読んでいます。おじさんが生まれた頃給食は全国に広がったようです。
 もちろん、おじさんも給食を食べた世代です。身分の上下を問わず私立の小学校に行かない限り皆学校給食を食べたはずです。
 同世代が集まった時、話題がなければ給食の話をしました。皆この話に乗ってきます。少し年齢が離れても、戦後生まれの人なら皆乗ってきます。
 そして、この本にも書いてある通り一番まずい脱脂粉乳の話で盛り上がります。今でもあのまずさと、においを思い出します。
 よほどの変人でない限り、あのミルクをおいしいと思って飲んだ人はいないでしょう。おじさんは、給食のおかずも大嫌いでした。
 今捕鯨が問題になっていますが、確かに鯨肉が給食に出ました。およそおいしいとはいえないしろものでした。とにかく筋があって硬いのです。 いくら噛んでも髪切れないのです。
 豚肉とジャガイモの煮つけも嫌いでした。豚肉とは名ばかりで、脂身ばかりなのです。その上豚肉が冷えて脂身が白く浮いているのです。
 好きなのはぜんざいとかでした。一番好きだったのはコッペパンです。なぜかパンは近くのパン屋さんが焼きたてをもってきていました。
 冬など、パンがおいてある部屋に入ると、焼いたばかりのパンの熱気で部屋が暖かかったのを覚えています。外はこんがり、中はふかふかでとても美味しかったです。
 おかげで、今でのパンが大好きです。給食の歴史を読むと、知らなかったことがいろいろ分かりました。中学では給食がなく、牛乳だけがでていました。
 脱脂粉乳から牛乳に代わってとてもうれしかったのを今でも覚えています。今中学の給食を食べていますが、おじさんの時代と全く違います。
 それでも食べ残しがずいぶんでているようです。時代がかわって、子供の食生活も贅沢になったのでしょう。明日は子供と孫たちが来ます。