新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

阪神淡路大震災の思い出

 やっと少し時間が取れたので、これを書いています。今日は中学の仕事でした。時間割の変更で1日仕事でした。本来午前中だけなのですが、午後までありました。
 ところで、今日は阪神淡路大震災から24年目になります。そういえば先日火砕流に追いかけられる夢を見ました。あわてて風呂に飛び込んだ夢です。
 阪神淡路大震災の時、おじさんの勤務する高校の修学旅行があっていました。朝7時頃駅に見送りに行ったら新幹線が動いていないのです。
 おまけにテレビでは地震のニュースをやっていました。火災が起こっているようでしたが、その時はこれほどの大災害とは思いませんでした。
 その後様子が分からず生徒さんは駅に待機のままでした。学校からは様子を知らせろとの催促ですが、どうにも判断できませんでした。
 その時は教頭と一緒でしたが、教頭も困っていました。だんだん様子が分かってきました。その時の修学旅行は長野へのスキーでした。
 大阪経由で名古屋まで行き、そこからバスで長野に行く予定だったのです。旅行社は空路東京に出てそこからバスで群馬に出て長野に行くコースを提案しました。
 しかし、校長はこんな大災害の中修学旅行でもあるまいというので中止になりました。その学年は次の年に修学旅行に行きました。
 おじさんは関西地方の高校に5年間勤務したので、阪神間には思い出があります。もちろん被害の中心となった神戸には何度も行ったことがあります。
 知人も大勢いたので電話しました。被害はなかったので安心しました。大都市での地震関東大震災以来だと言われました。
 その後まさか東北大震災があるとは想像もしませんでした。阪神淡路大震災も早朝でなく通勤時や昼間だったら今以上の大災害になっていたと思います。
 修学旅行中であれば、おじさんの学校の生徒にも被害が及んだでしょう。東北大震災の時は中国にいました。テレビで見てびっくりしたのを覚えています。
 次は南海大地震だと言われます。怖い者の代表が地震だと思います。何とか無事今の人生が終わるまで大災害に遭わないよう祈っています。
 明日は専門学校の授業です。