新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

誕生日でした。

 またまたブログを書くのが久しぶりになっていましました。仕事が忙しいのもありますが、古希を過ぎてだんだん書くのが面倒になってきたのです。
 書きたいことはいろいろあるのですが、ついパソコンに向かうのがおっくうになってしまうのです。株価の方は落ち着いてきています。
 持ち株は以前書いた通りですが、某電機株だけが一人頑張ってくれています。今日も年初来高値更新です。唯一この株だけが買値に接近しています。
 以前は輸出関連株だったのですが、今は国内株の扱いです。おかげで円高の影響があまりなく電機株の中でも珍しく元気なのです。
 ところで今日はおじさんの誕生日です。71歳になりました。昔の歌に「今年60のおじいさん」という一節がありました。すでにその年齢を遥かに超えて古希も超えました。
 「七十古来稀(まれ)なり」から来た古希ですが、今は普通です。おじさんも週5日働いています。孫より小さい中学生を相手にしています。
 ただ同じ年の友人が、どうも足が腫れた上に痛みがあると言っていました。痛みは少し取れたけれど腫れはまだ引かないということでした。体育を専攻し大学の教授だった別の友達はパーキンソン病だそうです。元気だと言ってもいつ病気になるか分かりません。取りあえず今のところ無事過ごしています。
 生まれたのは戦後すぐです。町には戦争の雰囲気がまだ残っていました。ベビーブームで、とにかく同級生が大勢いたのを覚えています。
 今どこの小中学校でもグランドに整列する生徒の数はそれほど多くありませんが、おじさんの小中学校のころはグランドに生徒があふれていました。
 受験も熾烈で受験戦争とまで言われました。予備校も塾もなかったので、一人でラジオ講座を聞きながら勉強したものです。
 無事大学に進学しほっとしました。その後運よく高校教師の仕事をすることができて定年まで勤務しました。その後は波乱の人生です。
 まず半年再任用をし、中国の国立大学で3年副教授待遇で日本語を教え、帰ってからは某高専で非常勤講師をしました。その後ツマクマの看病で仕事を1年半休みました。
 ツマクマが亡くなってから某専門学校の日本語教師になりました。そこはブラックだったので、半年でやめました。その後今の専門学校に勤務しています。おもわぬことから郡部の中学で授業補助の仕事をして2年になります。
 来年も雇ってくれるかどうかわかりません。専門学校の方は継続でということです。そういえば先日市立高校の常勤講師をしないかという話もありました。
 今は中学と専門学校の仕事をしていると言って断りました。仕事の依頼だけなら某私立大学の非常勤講師の話も以前ありました。こちらはツマクマの看病があったので断りました。
 金銭運は余りありませんが、仕事運だけはあります。今月下旬に中学の仕事の説明会があるので聞きにいきます。来年度もあればいいなと思っています。
 明日は専門学校の授業です。ベトナムがテト(旧正月)なので留学生で帰国している学生が多いです。本来の学生の三分の一になっています。