新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ユダヤ教イエス派からキリスト教へー初期キリスト教

 今日は祭日なのでのんびり過ごしています。昨日の説教はなかなか興味深いものがあったので、ブログに書くことにしました。聖書箇所はガラテヤ人への手紙2章1節以下です。
 ガラテヤの教会へあてた書簡です。書いたのはキリスト教の成立に大きくかかわったパウロです。彼がいなかったら、キリスト教は早き時期に消滅していたでしょう。
 パウロはもともと熱心なユダヤ教徒キリスト教の信徒を迫害していました。それが、イエスに出会って回心するのです。そして異邦人伝道を始めます。
 パウロたちエルサレムを中心とする人々がキリスト教の中心でした。ところが、パウロは前歴がわざわいしてペテロたちに受け入れられなかったのです。
 しかし、パウロの目覚ましい異邦人伝道はペテロたちの知るところのなります。パウロが伝道を始めて14年目にして使徒のリーダーであるペテロに認められるのです。
 ガラテヤ人への手紙2章9節以下に「私とバルナバに一致の印として右手をさしだした」とあります。こうして、ペテロは正式な伝道者として認められたのです。
 しかし、当時のキリスト教徒の中心はユダヤ人でした。ですから、どうしてもユダヤ教の習慣にこだわるところがありました。その最たるものが割礼です。
 イエス旧約聖書を尊重したこともあって、キリスト教徒も割礼が必要だと考えられていたのです。しかし、イエスの教えには割礼が必要だというものはありません。
 信仰だけが大事だと言っているのです。ところがペテロもそのことを知っていながら、ユダヤキリスト教徒に遠慮していました。
 ペテロがアンテオケの教会に来た時、ユダヤキリスト教徒に遠慮する行動に出たのです。それについてペテロは「面と向かって反対しました」と書いています。
 この行動こそが、キリスト教ユダヤ教から完全に引き離すものだったのです。このペテロの勇気ある行動によって、ユダヤ人以外の異邦人キリスト教徒が増加することになるのです。
 教会に行き始めて50年を越えましたが、今なお新しい気づきがあります。何気なく読み過ごしていたことに意味があるのです。
 聖書は何回読んでも新しい何かを気づかせてくれます。無人島に聖書一冊あれば、相当長い期間聖書の読み解きだけで退屈せずに過ごすことができるでしょう。
 明日は専門学校の授業です。