新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

就職一日目の思いで

 今日は早朝から雨でした。また、いつものパターンと同じで、早朝から雨が降って昼前に上がるやつです。おじさんとしては、登校時に雨なので傘を持っていって、仕事が終わって帰ることは不要になります。午後から降って、朝には上がるのが一番ありがたいのですが。
 今日は、これまで何度も書いた中国人の同僚の先生から電話があって、研修先がどうも決まりそうだという話でした。昨日突然京都の某私立大に行ってはどうかという話があって、そこの先生にメールを送ったそうです。すると引き受けてもよいが、事務と打ち合わせをしなければならないので、連休明けにまた連絡するとの返事があったそうです。それまで、メールや手紙を8通くらい送ったのに、何の返事もなかったそうです。それなのに、わずか半日くらいで、良い返事がもらえたそうです。
 おもしろいのは、研修先は日本人教師でなく、オーストラリア人の教師なのだそうです。しかし、研修内容は「菊と刀」という日本人論についてです。日本の最も日本らしい京都の古い伝統をもつ私立大学で、オーストラリア人と中国人の先生が、日本人論について共同研究するというのも、現代の日本を表しているようですね。外国人参政権については、反対が多いようですが、日本も着実に国際化しているのです。
 さて、今日はあるサイトを見ていたら、研修医になった1日目のことを書いたお医者さんがいました。どこの世界でも(特に資格が求められる世界)新米は緊張し、失敗することが当然です。お医者さんでも同様です。医師免許があるからと言って、医療が上手にできるわけでもありません。
 おじさんの場合もそうでした。今から40年前、兵庫県の某地方都市にある県立工業高校に赴任しました。(おじさんは、もっと南の方の県の出身ですが、教員採用がほとんどないので、大都市圏に出稼ぎに行ったのです。5年後に地元に帰りました。)4月1日付採用で、合同研修が3日(現在は1年あります。)ほどあって、教科書を渡され、4月8日から授業が始まりました。
 担当は3年生の機械科のクラスと2年生の電子科のクラスです。(ここには、他に金属科と何故か被服科がありました。)3年生のクラスに行って驚きました。一番前の席の生徒が、椅子に横になって寝ころんでいるのです。これは、どこの学校でもある、新採教師いじめです。ここで教師としての力量が試されるのです。簡単に言えば新任教師がどこまで生徒を指導できるのか生徒が見極める儀式なのです。これに勝てばこの学校では一人前の教師として認められます。
 そうなれば、代代語り継がれるので、生徒の指導が楽になります。もし、失敗すれば、その学校にいる間生徒からばかにされます。新しく入ってくる学生も、先輩の話を聞いて、こちらの指導をきかなくなります。また、他の教師も、こちらのお手並み拝見というところです。決して助けてはくれないのです。教室では教師1人で生徒50人と対決しなければならないのです。
 おじさんはオール現役ですから、教師になった時は22歳で、生徒は18歳、その差わずか4歳です。生徒にすれば、時として自分の兄より若い教師なのです。(おじさんも長男とは5歳離れています。)1年間は戦争でした。その後も手を変え品を変えて反抗してきます。もし、おじさんの1年目2年目の授業風景を見れば、まさに、今問題になっている「学級崩壊」そのものです。
 2年目にクラス担任をしてから変わって行きました。3年生が卒業し、何とか負けずに済んだことを後輩に伝えてくれました。おじさんをご存じの方は分かると思いますが、非体育会系でまさに文人そのもの(読書人)なので、力で抑えることはできません、その分を根性と忍耐と心理学(人間関係論・・認知的不協和の理論を使って、良い人間関係を築く)で補いました。このことについては又書きます。
 この学校の3年間は、その後の37年間と同じくらいの重みがあります。3年後、転勤の挨拶をして新しい勤務校へ行く時、あの工業高校の男子生徒が大勢窓から手を振って「がんばれよ。又、遊びに来いよ。」と言ってくれた光景が今でも思い出されます。おじさんと最初に出会った生徒は、すでに59歳になります。
 明日も授業です。木曜日はスピーチコンテストの練習がありそうです。今週は忙しいです。