新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんは如何にして危機を乗り切ったのか。

 今日で今週の授業終了です。日本は今日でゴールデンウィークを終了ですが、おじさんは今から来週の月曜日まで、また毎度おなじみのゴールデンウィークです。こんな日々を過ごしていると日本に帰って毎日働くことがいやになりそうです。(と言っても年金の関係で常勤職・・毎日働く仕事・にはなれませんが)明日は臨時にスピーチコンテストの予選があるので、D区に行かなければなりません。
 さて今日は、昨日の続きです。就職1年目如何にしておじさんは学級崩壊から脱出できたのでしょうか。学級崩壊だけでなく、服装崩壊もすごかったです。大半の生徒は一昔前のヤンキースタイルでした。長ランあり、短ランありでした。どちらかと言うと、田舎に近い市(人口3万人)だったので、長ランが多かったです。袖にはボタンが5つくらいありました。首のカラーも普通の倍くらいあります。ズボンはだぼだぼです。髪はリーゼントで決めています。カバンの中は弁当だけです。
 こんなテレビドラマか漫画の中のような高校生の中で文人(読書人)のおじさんは孤軍奮闘しました。最初は余りのことに圧倒されましたが、まず大声で注意することにしました。が、そんなことでへこたれる連中ではありませんでした。全く無視されました。次に近づいて話やトランプ(何と授業中にトランプをしているのです。)やめさせようとすると、「先生あいつら弁当食っているのに注意せーへんのんか。」と関西方言でいいます。(そのころおじさんは関西方言は全く話せませんでした。彼らの方言を聞くと英語を聞いているようでした。)
 本当にモグラたたきのように、あっちを注意するとこっちが別のことをする状態でした。また、勉強する生徒は、「先生あいつら無視して勉強しょうや。」と言います。3ケ月目には教師をやめようかと思ったのですが、ここで戦術転換をしました。きっかけは、授業でやっていた「枕草子」です。この本に「どんな愚か者が人に嫌われようとおもうだろうか。いや思わない。」と書いてありました。そうだ、どんな言うことを聞かない生徒でも、先生に嫌われるより好かれたいと思っているはずだ。いろいろなことをするのは、先生の気を引こうとしているのではないかと考えました。
 それで、授業中はどんどん注意しましたが、ちょっとでも良いことを言ったら滅茶苦茶にほめました。ほめられて嫌な生徒はいないし、ほめられた生徒は「俺はお前らと違うて偉いやぞ。」みたいなことを言います。そこで「そんなら、わしの話聞いたらもっとえらくなるよ。」とおだてたりしました。勉強がだめな生徒は、放課後部活しているのを見に行って、「なんや勉強はだめやけど、スポーツはうまいやんか。」と言いました。「そうか。先生、おれのシュートみてくれ。」などと言います。こうやってコミュニュケーションを保ちました。人間打ち解けると、ひどい反抗はしなくなります。
 スポーツも勉強もだめな生徒は、掃除の時などに命令しました。と言っても「すまんが、○○このゴミ捨ててきてくれんか。」と命令します。授業中反抗する生徒も、先生から頼まれるのは嫌ではないのです。ある時気がついたのです。そして、帰ってくると「すまんな~ ありがとう。」と心から感謝の言葉をかけます。人間ほめられたり、感謝されるとうれしいので、「先生、いつでもゆうてや。」と言います。
 このようにして、各個撃破するのです。工業高校の生徒は、見かけは恐ろしげでしたが、中身は田舎の子らしく、単純素朴でした。こちらが、プラスのサインを出すと、ちゃんと反応してくれました。多分都会の子なら無理だったのでしょう。1年後には、勉強はしないけれどひどいことをする生徒は減りました。(居眠りや漫画くらいならOK)こうして、おじさんは生徒の話の分かるいい先生と思われるようになりました。
 このような体験は2度としたくありません。(やれと言われればできますが。)次の学校は全く別の世界でした。明日は地上から天上に上った話です。