新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

株取引の思い出について

 今日は朝から授業です。と言っても7時のバスでD区へ行って、8時到着8時半から10時10分まで授業、それからバスでマンションへ帰ります。部屋に帰りつくのは11時ちょっと前です。明日も全く同じ時間割です。ただ、このところ修士論文卒業論文を見ているので、そちらが大変です。今日も修士論文の要旨と結論を添削して返却したところです。まだ一人おじさんの指導学生の卒業論文添削が残っています。この学生さんも熱心ですでに15枚(A4用紙)書きあげています。ブログを書きあげたらそちらを読まなければなりません。
 おじさんの大学の卒業論文は13枚くらいから20枚までですから、ほぼ完成していると言っても良いと思います。正式な卒論の口頭試問は6月6日で、普通その1週間前に書きあげるのです。ですから、おじさんの指導学生がいかに早く仕上げているかが分かると思います。それもぎりぎりの枚数でなく、規定をすでにクリアーしているのです。他の学生さんもみな熱心です。(一人を除いて)
 さて今日は日本の株式市況についてです。4月中旬をピークに連休明けから下落が続いています。一時持ち直したのですが、今日も下落が続いています。4月には100万円の利益が出たら、一時帰国して売ろうとさえ思った株式があっと言う間に下落してしまいました。昨日今日で30万円以上の評価益(売れば手に入るはずの利益)が吹っ飛びました。
 やはり以前書いたように、株は「上げ100日下げ3日」のたとえ通りです。本当に恐ろしいほどの勢いで下落していきます。株は買いより売りが難しいのです。おじさんが株式取引を始めたのは、就職して2年目です。最初の工業高校の頃です。神戸の阪急三宮の駅前の勧業角丸証券で始めました。ここは、たまたま駅前にあったからです。最初に買った株も覚えています。「三井金属」を1000株買いました。多分68円くらいでした。ですから7万円くらいかかったと思います。とは言っても初任給が3万8千円の時代ですから、それなりのお金だったのです。
 おじさんは気が小さいので数千円くらいの利益が出たところで売ったと思います。その後地味な株ばかり買って数千円の利益を得ていました。その中で株式売買の怖さを知ったのは、今はもうありませんが「アラビア石油」という石油資源開発会社を買った時です。この会社は特殊な会社で、サウジアラビア政府とクウエート政府が大株主でした。ですから、倒産するはずはないと思って買ったのです。
 ところがちょうどオイルショックに重なって、「スットップ高」になりました。「ストップ高」とは、株式の値段が上がりすぎないように、株式の時価の何十パーセント以上か上がったら、取引を中止するのです。それが何日が続きかなりの利益が出たところで売りました。ストップ高を経験したのは、これが最初で最後だったと思います。
 ところで株を本格的にやっているのは、おじさんの兄弟ではおじさんだけです。おじさんの父親もやっていたと聞きました。おじさんは勉強好きなので、株についても相当勉強しました。と言っても取引の研究ではなく、銘柄(会社について)の研究です。株式にはそれぞれ特徴があります。大きく値上がりするが、下落も大きいものや、大きな相場(値上がりが続くこと)の最後に上がる株もあります。普通その株が上がりだしたら相場は終わりだと言われます。(鉄鋼株とか電力株などです。理由は長くなるので書きません。)
 また選挙が近いと動く株もあります。企業実績でなくマネーゲームとして売り買いされる株もあります。おじさんの住んでいる日本の街のデパート株がそうです。何年かに一度上がる理由もないのに上がり始め、突然下落して相場が終わります。(最近も動きました。)そのような株をシテ株と言います。おじさんは堅実な優良企業投資ですが、どうも父親はシテ株が好きだったようです。
 株式投資をしている人に持ち株を聞くと、その人がどのような取引(堅実派か一発勝負派か証券会社のいいなり派かわかります。)7月の帰国までの持ち株が少しでも利益を出すといいのですが。株の話しは話しだすきりがないので、これでやめます。明日も授業です。