新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんの大学キャンパス報告

 昨日から風邪気味で大変でした。このところ体調が良かったのですが、昨日の午後からくしゃみと鼻水攻撃にやられました。3月はひどかったのですが、4月に入ってからは良かったのです。原因は急速な気温の変化です。4月中旬は30度を超える日もあったのに、昨日の最高気温はなんと21度です。3月上旬の気温に逆戻りです。あまりに寒かったのでちょっと暖房を入れたくらいです。本当に今年は異常気象です。例年に比べて5月なのに暖かくなりません。
 株式は少し回復しましたが、とても下落幅を埋めるほどでもありません。政治も経済も停滞気味です。それに上海万博も思ったほどは人出はないようです。もちろんおじさんも行こうとは思いません。ただおじさんは上海経由で日本に帰るので航空料金が値上がりしているのが困るだけです。
 卒業論文指導も何とか学生さんが全員目次まで出してくらたので、ちょと安心です。最後の一人の学生さんは、日本語も拙いようで、相当卒業論文完成まで大変なようです。これから目次の手直しをしなければなりません。日本へ共同研究に行かれる予定の先生も受け入れ先が何とか決まりそうで安心しました。東京と京都の二つの大学から招聘されそうですが、行き先は一つなので選択に困っている状態です。
 さて今日はおじさんの大学のキャンパス報告です。キャンパスは4つあります。大学本部と理工系学部・マスコミ学部などがあるのがA区です。留学生会館もA区にあります。以前は全学部の大学院生と3・4年生の授業はこのA区であっていたのですが、今年から後述するD区であるようになりました。ですから、A区は以前に比べると格段に学生数が減少しました。工学部系とマスコミ学部は移転しないようです。
 B区はおじさんのマンションのある地区です。外国人教師はほとんど全員ここのマンションに住んでいます。(一部キャンパス外に住んでいる外国人もいるようです。)他に建築・土木関係の学部があります。それに、最近農学・生命科学院の研究棟ができつつあります。地下と2階までは駐車場で、それ以外が授業研究棟のようです。13階建のようです。建築・土木学部もD区に移転しないようです。
 C区は継続教育学部やコンピューター学部のようです。継続教育学部というのは、一度大学なりを卒業した社会人や公務員を再度短期間教育するところです。ですから、余り人を見かけません。大学の先生に聞いても、何をやっているのか良く知らないといいます。
 D区が新しいキャンパスです。来年からは外国語学部は全てこちらで授業があります。地区の名前も大学城と言って、多くの大学が集まっています。おじさんの大学の他に師範大学(教育大学)芸術大学医科大学、軍医大学、その他科学技術大学、や専門学校です。(警察学校や軍の後方支援学校・・後勤部付属学校)おじさんの大学のキャンパスは相当広いです。中国では、職住一体なので、大学キャンパスに付属して一大団地ができています。
 その団地には家族も含めて6000人が住むようになるそうです。おじさんの同僚の先生も続々とマンションを購入して、内装をやっています。ほとんどの先生は今住んでいる部屋を他人に貸してこちらに移り住むそうです。マンションは大学が費用の半分をもってくれるそうなので、時価の半値くらいで買えるそうです。
 しかし、まだ生活環境(マーケットや病院や食堂街や学校)が整っていないので、生活は大変そうです。雰囲気としては筑波学園都市に似ています。企業も続々とこちらへ移転しています。また、大学城に近い高速のインターチェンジ入り口でも大規模開発が進んでいます。(巨大な飛行場のような平面を切り開いています。)
 とにかく中国内陸部の発展はすごいです。おじさんはこの後学生さんの卒業論文指導があります。明日はツマクマのビザ取得のために同伴します。