新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国で日本のドラマを見る。

 今日は朝から久しぶりの晴天です。後述するように、昨日は午前3時までテレビを見たので朝起きたのは9時過ぎです。それから朝食兼昼食をとって、日常業務に入りました。日常業務はまずパソコンでメールを確認し、ニュースを見ることです。それに政治コメントも見ます。次に掃除・洗濯です。授業のない日は掃除はおじさんの担当です。
 石で作られたフロアー(床)なので、拭き掃除(水ぶき)をしいないと汚れが目立ちます。それに、汚れをそのままにしておくと、染みついてしまいます。それで毎日モップで拭き掃除をしなければならないのです。畳やフローリングの生活に慣れているので、石の床はどうもなじみにくいです。
 さて、タイトルの日本のドラマです。ツマクマが、領事館や企業のご婦人方から、日本のドラマがパソコンで無料で見れるという話を聞いてきました。それで学生さんにお願いして、そのサイトを見つけてもらいました。早速ダウンロードして見ています。
 無料で見ることが出来るのはドラマだけです。本当はNHKの番組を見たいのですが、こちらは有料です。お金を出して見るほどもないので、ドラマだけ見ています。これまで見ていたドラマは、日本にいる時から見たかった「坂の上の雲」です。これは原作は10年以上前に読んでいます。まさに、日本が坂の上の雲を見上げながら、まっしぐらに進んだある意味幸せな時代です。
 NHKのドラマだけあって、なかなか見ごたえがありました。配役も豪華です。大河ドラマは、1年間の連続ですが、これは数年にわたって放映されるようです。日露戦争と言えば、おじさんは、30年くらい前「日露戦争軍事史的研究」(岩波書店)を読みました。日露戦争に関する民間人による研究としては、最高のものだと思いました。
 昨日はこの「坂の上の雲」を見た後、「我が家の歴史」を見ました。これは学生さんから勧められたものです。1話はツマクマだけが見ました。おじさんは昨日勧められて2話から見たのですが、引き込まれてしましました。ドラマの2話こそが、おじさんが生きた時代だったからです。(読者の皆さんでまだ見ていない方は見るのをお勧めします。日本が復興していく時代の姿が分かります。)
 ドラマの2話3話は敗戦直後の日本が中心です。おじさんは昭和23年に生まれました。ですから物語の終わりの昭和36年と言うのは、中学生くらいの頃です。おまけにこの一家の出身の街にはおじさんもいささか縁があります。三谷幸喜の作らしく、大勢の歴史上の有名人や歴史的事件がからまっています。
 おじさんも、ドラマの主人公と少し似た人生があります。おじさんの父親は日本の民間航空が始まったころに、飛行機で東京へ出張していました。だから「木せい号」墜落事件は印象的でした。また、昭和29年おじさんの父親はやはりガンで死にました。おじさんが小学校1年生の時です。
 夜突然電話がかかってきて、おばさんに連れられて(母親は病院にいたので)病院に行くと、父が死んだと母から告げられました。その時に情景は50年以上前なのに今でもはっきり覚えています。弟はまだ5歳だったので、父の死が良く理解できずきょとんとしていたのも覚えています。父は某製鉄会社の営業部(成品課)に勤めていたので、大勢の人がお葬式に来て、昭和29年にはまだ珍しかった、乗用車がずらりと家の前に並んだのも覚えています。ちなみに父が死んだ当時の課長は後にこの会社の社長になりました。この人の回顧録のようなものを新聞で読んだ時、父の勤務していた課の名前が出ていたので驚きました。
 母親は会社の人の世話で働きに出ました。父兄参観日に母親は事務服のままで来ていました。あの少年のように、自分の母親が来ているかそっと後ろを見たものです。ただ主人公の母親と違って、おじさんの母親の会社は不思議な縁で、あの三井物産と合併して母親は女性ながら、最後は三井物産の社員として退職しました。母親も父と同じ某製鉄会社に結婚前タイピストとして勤務していたので、母親の職歴は大正時代に生まれた女性としては華麗なものになりました。
 昨日のドラマを見ながら、しみじみ自分の人生と自分の親や兄弟のことを考えさせられました。いつか、おじさんの家族の歴史をブログに書いてみたいと思います。それぞれの家族には家族なりのドラマがあると思います。今日は、これから散髪に行って、その後買い物に行く予定です。(近くの市場です。)明日は教会に行く予定です。