新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

様々な定年後

 今日も晴天です。日本のおじさんの街は昨日は大雨だったようです。こちらも南部沿岸地方は大雨で洪水にもなっているようです。しかし、おじさんの街は水不足ではありませんが、川には中洲が出て満水とはとても言えない状態です。やはり川はごうごうと音を立てて流れる方がよいと思います。
 さて、今日はレコードチャイナ(中国報道を日本語に直したサイト)でおもしろい記事を見つけました。日本では今団塊の世代が続々と定年退職になっています。おじさんたち団塊の世代は1年に250万人近く生まれたので、60歳から63歳までで700万人近い数になると思います。そのうち半数が男性だとすると400万人近く人が職から離れたようです。
 おじさんの1歳上の人は63歳から年金が満額でます。おじさんたちは64歳からです。つまり、定年後3年から4年は働かなければならないのです。と言っても全く年金が出ないわけではなく、60歳から本来支給される年金額の60%くらいが出ます。もちろん常勤職として働くと全く年金はでません。おじさんはもちろん常勤職ですが、中国で働いているので、60%の年金は日本で受け取っています。
 そのため、おじさんの県では定年退職後、再任用をしています。おじさんも中国に来る前これをやっていました。(4月から8月まで)しかし、やってみて分かったのは再任用はつらいということです。勤務内容はこれまでと全く同じなのに給与は半分以下になります。公務員(特に教員)の場合完全に年功序列なので、同じ仕事をしていても、高齢者ほど給与が高いのです。(つまり60歳の教員は教員の最高額の給与が貰える)
 しかし、やめても年金だけでは暮らせないし、別の仕事を見つけることもできないので、大部分の先生はこれをやっています。(女性の方はほとんどやりません。)
 民間ではこのような仕事がない場合が多いので、定年後の仕事を見つけるのは大変なようです。そこで中国で働く定年退職者が多いようです。おじさんもその一人です。中国の日本語教師を見ると、おじさんのような定年退職後の教師も結構多いです。教師としての経験が豊富なので、教えるやり方も上手です。
 おじさんの同僚の定年後も様々です。おじさんの同僚で良く知っている人達のその後について書きます。校長で退職した二人は専門学校等に天下りしました。一人は大学予備校で一人は専門学校です。校長を採用する目的は学校関係者に顔がきくからです。簡単に言えば募集係のようなものです。
 残りの二人は再任用になりました。おじさんの高校時代の同級生などは、再任用後に転勤があったようです。給与は半分になった上に慣れた学校から全く知らない学校へ転勤するのも大変だと思います。彼は遅く結婚し家を10年くらい前に建てたので働かなければならないようです。もう一人の同僚も子供さんが遅くできたので、やはり働かなければならないようです。
 もう一人の同僚は天上がりです。近くの国立高専の教授になりました。おじさんの親友のミヤジイです。今は学科の主任教授になっています。おじさん以上に勉強をして多くの論文を発表し、学会発表もしてきた結果です。
 読者の皆さんもいずれ定年になると思いますが、どのような定年を迎えるのでしょう。少なくとも定年後のイメージだけは描いておいた方がいいと思います。今日まで休業日なのでのんびり過ごします。明日からいよいよ授業です。