新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

帰国しました。

 昨日無事帰国しました。その報告を簡単にしておきます。まず出発地のおじさんの街の空港で3時間くらい待たされました。以前も1時間くらい待ったので出発時間が1時間くらい遅くなるという表示も当然だろうと思っていました。その後のドラマチックな展開など予想もしていませんでした。
 その予感はちょっとだけありました。おじさんの街の空港でなぜか日本までの航空券を発券してくれたのです。おまけに、荷物も上海での乗り換えの必要がないように、日本の空港で荷物を受け取れるように手配してくれました。いつもなら上海で荷物を受け取り、航空券を手に入れて出国手続きをするのです。おじさんの街の空港でもたもたしてなかなか手続きができないのでちょといらいらしました。実はそのために時間がかかったのです。
 中国では手荷物のトラブルが多いので、日本まで手荷物が無事届くか不安でした。ただ東方航空はおじさんの街でも良く見かける航空会社なのでいざという時でも何とかなると思っていました。結論から言えばちゃんと日本の空港で受け取ることができました。
 さて、1時間待って飛行機に乗り込みました。これで日本に帰れると安心していたら、何と空港で1時間待機になったのです。飛行機が飛び立つ前に食事が出て、おまけに飲み物まで出ました。これではいつ飛び立つかわからない状態でした。
 それでも機内で1時間半くらいまっていよいよ離陸です。しかし、どう考えても到着後急いで国際便の発着場に行かなければなりません。ところが機内でどうも上海に行かないで手前の空港に着陸するようなアナウンスのようなのです。どうも上海の気象条件が悪いようなのです。本来出発時間は12時半なのに、おじさんの街の空港を出発したのが、2時45分です。おじさんの日本への飛行機の出発時間は6時なのです。2時間ちょっと上海までかかるので、ぎりぎりです。
 もし、これで荷物を上海で受け取って、出国手続きをしていたら間に合わないかもしれません。それで乗務員の方に切符を見せました。すると突然雰囲気が変わって、今から20分後に座席前方に来てほしいと英語で言われました。どうもおじさんたち夫婦ともう一人おじさんの街の空港に行く方がおられたようです。乗務員の方もそう言いました。そちらの方は中国人で日本人の方と結婚されているようでした。
 そして座席の前方に手荷物を持って移動しました。他の乗客の方も何かただ事でない雰囲気を感じて緊張しました。上海へ無事着くことがアナウンスされると一斉に安堵がもれました。中国語と英語のアナウンスだったので細かいことは分かりませんが、機内は相当緊張していたようです。
 5時15分に搭乗案内なのに、上海空港到着は5時15分でした。乗務員の方の案内で通路を出ると別の係の方がおじさんの街の名前を書いた紙を持って待っていてくれました。そして、何と空港職員専用通路を次々に通り抜けて行きました。(カードと暗証番号を打ち込んで次々の扉を開けて行きます。)しかし、国際線には出国手続きという最大の難関があります。
 それはどうするのだろうと思っていると、何とその空港職員専用通路の先に出国カウンターがあるのです。今まで何度も上海空港で出国手続きをしましたが、見たことのないカウンターでした。カウンターはひとつだけて、職員の方も数人でです。謎の出口のようです。その向こうは扉で見えません。中国人の方が(空港職員とは見えませんでした。)数人並んでいましたが、係の方が何か言うとおじさんたち3人を優先してくれました。
 窓口でもいつもより簡単に通してくれました。一応荷物検査もありましたが、すぐに終わりました。そして扉を開けると何と見慣れた国際便の待合室です。急いで搭乗口に行くとすでに大勢の日本人観光客が待っていました。そのあと10分後にバスが来てそれに乗って日本に行きの飛行機に乗り込みました。
 風のように空港の謎の迷路をたどったのが夢のようでした。あの謎の出国カウンターは何だったのだろうと思いました。多分外交官や政府関係者などの特殊な人の出国コーナーだったと思います。外国人が使えるようなところではなかったからです。空港内部からしか入れないところなのです。
 思いがけないことから、上海空港の内部を見ることができました。もちろんこんな異常事態以外にそんなところに入りこめば即刻逮捕されると思います。日本には日本時間で午後8時過ぎ(ほぼ定刻)に着きました。3000キロの旅を1日のうちのしました。遣唐使が1月以上かけてたどりついた道のりをわずか6時間くらいで行きついてしますのです。昨日は空港近くの二女の家に泊って今日夕方帰ってきました。明日から戦争です。