新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

久し振りの日本の教会

 いよいよ夏も盛りになりました。今日は完全に夏日です。多分40度近くまで気温が上がると思います。庭(と言っても猫の額くらいです。)プールを作って孫たちが遊んでいます。おもちゃのようなプールですが、おじーちゃんたちの家の庭なのが気に入っています。
 孫のパパは仕事です。娘はちょっとのんびりできます。さて、今日は日曜日なので教会へ行きました。教会については何度も書いたことがありますが、おじさんは19歳の時から教会へ行っているのです。もちろん中国でも気に入った教会があってそこに行っています。(ときどきですが)
 おじさんの行っている教会は昔からあった教会ではありません。ちなみに所属教団はプロテスタントでは最大教派の日本キリスト教団です。昔からあった教会でないというのは、3代前の牧師さんが自分で教会を始めたのです。おじさんたちの教団の呼び方をすると、開拓伝道です。創立されて30年以上経過しています。
 おじさんも若かった時教会建設のために尽くしました。お金がなかったので、バザーをしたり物販をしたりしました。高度成長期だったので、それなりに資金を集めることができました。いまのような低成長で給与も上がらないデフレの時代だったらとても無理だったろうと思います。
 教会には以前からの方が大勢いていろいろお話できてうれしかったです。おじさんの教会は改革派の伝統を受け継ぐことになって、礼拝の在り方なども変えています。おじさんがいた頃に比べて少し礼拝の在り方が変わっていました。印象的なのは礼拝の後にやっていた報告も礼拝の中に取り込まれていました。報告の後にまだ礼拝が続きます。
 中国の教会もそんな感じでした。中国だと讃美歌や主の祈り、使徒信条なども少しはできるのですが、説教が皆目理解できないので、やはり日本の教会はうれしいです。プロテスタント教会は説教が中心なので特にそう思います。
 教会の内部も少し変わっていました。以前は説教壇がひとつで、司会者(司式者)の司式が終わった後に牧師さんと交代して説教をしていました。その際、司式者の方は自分の聖書や讃美歌を持って移動するので大変でした。それで司式者専用の講壇を購入したようです。こうすると説教をする牧師さんはすぐに説教壇に立って説教できるのです。
 それに、聖餐テーブルの上に献金の袋などを置いていましたが、聖餐テーブルはそのためだけになって、すっきりしました。しかし、講壇の上や前にいろいろテーブルなどがあるのが気になります。本来は聖餐テーブルは聖餐式の時以外は別の場所の入れておけばよいのですが、そんな場所もないので仕方ありません。
 プレハブ建てのの教会だった頃を思うと隔世の感があります。この教会に出席できるのも後3回くらいで、また中国に行かなければなります。今住んでいるマンションから新しい地区のマンションへの引越しの話もあります。そんなことになれば、今行っている教会に行くのも大変になります。一難去ってまた一難です。
 明日まで孫たちがいて、明後日火曜日はまた検診です。