新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

甲子園の思い出

 台風の影響で曇りがちです。今夜台風が接近して雨が降るかもしれないそうです。今日は日本で余裕のある最後の日なので県庁所在地の街に行きました。ここは神戸以西で最大の街です。ここまで書けばどこの街か分かるかとも思います。本屋さんを中心にぶらぶらしました。
 
 明日はお坊さんがお盆は忙しいのでお参りに来ます。ですからこのブログを書いたら庭の芝かりをしなけばなりません。日本に帰って一度やったのですが、この暑さですでにジャングル状態寸前です。どこも盆前に草刈りをやっているようです。政治の方は世論調査で管政権の支持率が下げ止まったのでちょっと安定しているようです。それに首相交代希望も国民にないようだし、長野の知事選にも勝利したのが大きいようです。
 
 さて今日は今真っ盛りの甲子園の高校野球の思い出について書きます。もちろんおじさんが高校球児であったはずはありません。おじさんが勤務している間に勤務する高校が2回(春と夏)甲子園に出場したのです。一番思い出に残っているのは夏の大会に出場したことです。
 
 地方大会の決勝戦は全校あげて応援に行きました。勤務して2年目くらいだったと思います。新しい監督(前の監督は全国的に有名な人です。)に変わって間もない頃でした。1点差で最終回2アウト2塁3塁で1打同点または逆転という場面でした。打者が打った球はショート前の平凡なゴロで皆はこれで終わった、ダッグアウトを出た瞬間大歓声とともに2塁ランナーが両手をあげてホームに突進する姿を見たのです。
 
 そうです、相手の選手が緊張のあまり何でもないゴロをエラーしたのです。こうして劇的な勝利の後甲子園に行くことになりました。どこの県でもそうですが、自由に全国から選手を集められる私立に比べて、学区に縛られる県立はどうしても不利です。おじさんの県もほとんど甲子園に行くのは私立です。ですから、おじさんの県の高校教員で甲子園に応援に行った数は極めてすくないのです。
 
 その後春の選抜高校野球大会にも出ました。結局その高校に12年勤務して2回行くことができました。それとラグビーも強い高校でラグビーの全国大会にも行きました。花園ラグビー場であります。これも2回くらい行きました。この高校は県下でも一番古い高校で、創立すでに110年になります。
 
 もちろんスポーツだけでなく進学実績も相当なもので、県下100校近い公立高校で上位5位以内に入る名門校です。新設高校に勤務することが多かったのですが、この高校と最後に勤務した高校(母親・姪・甥・長女の卒業した高校)は既設校でした。最後の高校は創立90年です。
 
 今勤務している中国の大学も去年創立80年になります。いよいよ日本滞在も残り10日ちょっとになりました。お盆は(13日は家族が帰ってきます。14日は今日書いた高校の同総会で15日は実家にお参りに行きます。)結構忙しいです。来週は別荘の最後の手入れです。中国帰国の準備を少しずつやっています。