新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんとプロ野球

 今日は久しぶりの真夏日に戻りました。昨日今日とおじさんの大学構内は高圧線工事のために停電でした。朝8時から夕方8時まで昨日は停電でした。予定では6時に開通するはずだったのですが、工事の遅れなのか2時間くらい遅れました。今日はその代わり7時に開通しました。
 
 予定ではこれで工事は終わりです。大学構内全ての電気が停電しました。街灯はもちろんマンションのエレベーターもだめです。なんと大学付属のホテルも停電で休業していました。その代わり内装のやり換えをやっていたようです。こちらに来て2年経過しますが、こんなことは初めてです。
 
 新学期の授業予定も確認できました。今学期は大学院の授業がありません。大学院は3コマ(45分×3時間)の授業を10回やるので結構大変でした。多分新任の日本人の先生がすると思います。とりあえず月曜日が休業日になりました。火曜日水曜日は1コマ(45分×2時間)だけで、木・金の二日が2コマ(45分×4時間)です。週の後半が忙しいです。特に金曜日は高速で40分くらい離れたD区で授業をして、その後こちらのA区でも授業をします。
 
 さて今日はおじさんには珍しいスポーツの話しです。おじさんも少年の頃は大のプロ野球ファンでした。当時はテレビもなくラジオにかじりついて巨人・西鉄戦を聞いていました。若い方はご存じないと思いますが、川上という伝説的な選手が巨人にいたり、稲尾という伝説的な投手が西鉄(現西武ライオンズ)にいたのです。
 
 おじさんは西日本の出身なので周りは圧倒的に西鉄ファンが多かったです。(西鉄ライオンズは福岡に本拠地がありました。)それなのにおじさんは巨人ファンでちょっと肩見が狭かったです。王や長嶋が入団したころです。当時あったベースボールマガジンで長嶋の入団を知りました。彼が立教大学出身だということで、立教大学という名前も知りました。
 
 その後中学・高校・大学と大きくなるにつれてプロ野球から興味をなくしました。そして、大学卒業後転勤で阪神間の高校に勤務するようになりました。そこは阪急・近鉄・南海など様々な球団がありました。阪急沿線に住んでいたので、西宮球場で阪急の試合があると、阪急電車の前にプレートが飾ってあったのを覚えています。
 
 しかし、勤務した高校では大の阪神ファンがいて、その先生に連れられて阪神ファンの集う焼き鳥屋へ連れて行かれました。トラキチの集う場所です。そうしているうちに何となく阪神ファンになりました。しかし、当時の阪神は出ると負けの弱小チームでした。ある年確か何年かぶりに優勝して大騒ぎになったのを覚えています。確か道頓堀に飛び込むファンが続出したと思います。
 
 その後長い間またプロ野球から離れていましたが、バーちゃん(義母)が熱烈なソフトバンクのファンであったため影響されて、今はソフトバンクを応援しています。少年時代こそ選手の名前なども知っていましたが、それ以後は選手の名前など知らなかったのに、今ではバーちゃんの影響でソフトバンクの選手の名前をたくさん知っています。(和田投手を応援しています。)
 
 おじさん個人としてのプロ野球との関係は、おじさんが勤務していた高校(以前書いた甲子園に出場した高校)からドラフトで一人広島へ行きました。ちょうどおじさんが授業していたら、その連絡があったようで、野球部の監督が窓の外からドラフト指名があったサインをその生徒にだしていました。いまでも在団しているようです。
 
 最近またソフトバンクも強くなったのでうれしいです。中国にいてもサイトで結果を見ています。何とか今年は優勝してもらいたいものです。明日は買い物に行く予定です。