新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

聖書の言葉で現代を読み解く

 今日も薄曇りの中気温が結構高かったです。こちらは朝はいつも霧がでます。最近ハマっているこちらのテレビ番組に「霧都狩狐」(狩だけ中国の簡略体です。)があります。霧都とはおじさんの住んでいる街のことです。時代は日本敗戦後国共内戦共産党の勝利に終わった頃の話です。国民党は台湾に逃げたのですが、一部特務(破壊工作員)のメンバーが街に残って破壊活動をする話しです。
 
 その題名が「霧都」なのです。番組の題名になるほど霧が出るので有名な街なのです。当然おじさんも知っている地元の地名などが出て楽しいです。特務機関の首領が「狐」と呼ばれるのです。それを人民解放軍の公安(警察のこと)が追います。(「狩狐」はその意味です。)なかなかスリリングで中国語も分かりやすいので楽しいです。
 
 さて、いよいよ民主党選挙も数日後に迫り大変ですね。そこで聖書の言葉(一部聖人の言葉)を使って現代社会を読み解いてみたいと思います。聖書というと平和を訴える書物と思われがちですが、旧約聖書などはイスラエル民族と周辺の部族やペルシャ・エジプトとの戦争の歴史が綴られています。
 
 敵を皆殺しにしたというような記述も多く出ます。また、エジプトや周辺の大国との外交関係についても預言者たちは意見を述べます。新約聖書でも有名なことばは「私は剣を投げ込むためにきた。」という言葉です、今は人々の間に剣が投げ込まれたように争いが絶えません。
 
 また現代なかなか難しい時代です。そこでどうしても安易な方向での解決を求めようとします。皆が行く方向へと進もうとします。それに対して聖書は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広い」と書いてあります。現在の状況の中では、何もしないことが一番楽です。しかし、何かをしようとすると猛烈な反発があるでしょうが、政治家は是非この言葉を肝に銘じてほしいものです。
 
 そして現代は二項対立の時代です。限りなく対立の幅が広がっています。かっては都市と農村くらいでした。それが今では高齢者と若者、正規雇用者と非正規雇用者、正規雇用者の中でもバブル期入社の社員や中高年社員と若い社員などです。政治でいえば規制緩和派と規制強化派、財政再建派と財政支出派です。競争社会や成果主義についても意見が分かれます。
 
 どちがら正しいのか全く分からない社会です。聖書はその中で具体的な解決方法はしましません。ただ、「一粒の麦がもし死ねば多くの実を結ぶだろう。」と言います。また、多く捨てるものは多く得るとも言います。現代社会は合理と効率の上に成り立っています。
 
 自分にとって最大の利益をもたらすものこそが一番正しいと考えているのです。確かに合理的な考えですが、逆に皆その考えにとらわれるなら、争いしか残らないでしょう。もし、高齢者が年金を少し減らしてそれを若者ためにつかうならよい結果を生むでしょう。正規雇用者が給与を少し減らすことで非正規雇用者の待遇が改善されるならよい結果を生むでしょう。
 
 これはまさに5000人の人にわずかなパンとサカナで満腹させた話しにつながってきます。新自由主義はむき出しの欲望を肯定しました。その弊害は大きかったと思います。現在でも小泉改革を評価する声は多いのですが、経済的な利益は生み出したかもしれませんが、それ以上に社会の雰囲気を劣化させてしまったと思います。
 
 孔子はやむを得ないで去るとしたら、「兵・・軍事力 食・・経済 信・・信義の心」のうちどれが先かと聞かれた時、まず「兵」を去らんと言いました。現在でも軍事費増大を叫ぶ人がいますが、孔子から怒れそうですね。次が経済だったのです。人には皆死がある。(どんなに豊かな生活をしても結局は死ぬということです。)民に信義の心がなければ社会は成り立たないといいました。(民信なくんば立たず。)
 
 聖書の言葉や聖人の言葉は未来の選択に迷った時示唆を与えてくれます。孔子の言葉が正しかったことは、今なお孔子が聖人として尊敬されていることで証明されています。孔子がウソを言ったなら2千年以上も読みつがれることはなかったでしょう。
 
 明日まで休日です。授業の準備だけやって後はのんびり過ごします。