新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国の大学で日本古典を教える

 今日も朝は雨でしたが、午後から曇り空になりました。今日は1週間で一番ハードな日です。午前中2コマ(45分授業を4時間)午後は1コマ半(45分授業を3時間)です。結局45分授業を7回やったことになります。
 
 午前中は日本概況と言って日本のことを教える授業です。2クラスやっています。今は日本の地理(日本の各県の実情について)をやっています。地方(各県)ごとにやります。九州沖縄から始まって、今日は近畿・中部地方をやりました。九州・沖縄だけはおじさんが説明して、その後は学生さんに任せています。何を調べて発表するかは自由なので、いろいろおもしろいことを発表します。
 
 基本はその地方の人口や面積、産業や歴史などです。例えば京都であれば、古い日本の都として平安遷都から明治維新の前まで続きました。とか、鹿児島・山口だと明治維新の中心となりましたなどです。新潟県などの場合、豪雪地帯ですなどと気候についても話します。ある学生さんは、長野県について「信州そば」が有名ですとか、「野沢菜」が有名ですとか話ていました。産業は広島県なら自動車(マツダ)産業などです。
 
 さて古典については、大学院生(1年生)対象です。中国の大学院は修士も3年間です。おじさんも大学院へ行きましたが、やはり余裕を持って修士論文を書くためにには2年でなく3年の方がよいと思います。2年だと、1年生の時ある程度まとまった単位を取り、2年生はほとんど修士論文を書くためだけに費やします。
 
 さて、古典についてですが、日本人教師が担当するのは、日本社会文化論と日本古典文法および古典文学です。おじさんは、去年と今年日本古典文法と古典文学を担当しています。ところが、この授業は前期だけなので、13回しかありません。最後の授業は試験なので、実質12回です。
 
 これではとても日本の高校の古典のように、文法から入るわけにはいきません。そんなことをすれば、助動詞くらいをやったところで授業終了で、古典を読むことさえできません。そこで、おじさんが自分で訳をつけることにしました。学生さんについては文学史的な部分だけやってもらうようにしています。
 
 前回までは宇治拾遺物語の「児のそら寝」をやりました。これは日本の高校1年生が、本格的に古典を勉強する時にまずやる単元です。これには一部現代語がついています。今やっているのは「方丈記」です。方丈記も比較的分かりやすい文章です。
 
 今年は、日本古典を通して人間の本質を探るがテーマです。方丈記の「養和の飢饉」を扱います。飢饉というぎりぎりの限界状況の中で人間はどうするのか、また今の繁栄した日本の過去には悲惨な飢饉の歴史があったのだということを学ばせます。
 
 これが終われば「枕草子」です。枕草子では「ありがたきもの」(めったにないもの)をやります。例えば有名な「舅の褒められる婿、姑に褒められる嫁の君」などです。去年やった時もその理由を中国の大学院生はすぐに説明できました。これは時代を超え、国を超えて共通するものなのです。
 
 また中国古典が日本文化あるいは日本古典に大きな影響を与えている例として「香炉峰の雪」もやります。中国の学生さんにとって、現代日本人が中国古典を知っていること自身とても不思議なようです。中国の国語(語文と言います。)でも必ず古典をやります。ですから中国でも杜甫李白も勉強しますし、臥薪嘗胆の話も全員知っています。
 
 現代中国でも古典は大事な授業科目なようで、古典の詩の朗読会などもあっているようです。今日は今から外国人教師の食事会(外事処・・外国人教師担当の大学部門主催です。)があります。明日は午前中は3年生の中級作文で午後はまた4年生の総合日本語です。お食事会についてはまた報告します。