新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国おじさんの街の幹線道路風景

 数日晴天が続いたのですが、さすがに今日は曇り空になりました。天気予報は雨なのですが、雨までは行きませんでした。明日も雨の予報です。
 
 日本ではこのところの大きな事件続きです。マスコミにとっては、皆が注目してくれるのでありがたいのでしょう。ちょっと騒ぎすぎな気もします。中国側では、今は全く報道がありません。沈静化を狙っているのでしょう。何だか戦前の5・15事件の頃を思い出します。中国でも「愛国無罪」という言葉があります。特にビデオの事件については、本来公務員法違反の上に、職務規律違反なのですが、該当者が判明した時に、動機は愛国心だから穏便にはからえという議論がでたら、次の重大な事件を引き起こす可能性があります。
 
 ビデオ事件であれ、公安情報の事件であれ、全力を挙げて該当者を発見し、厳罰に処さなければ、日本は世界の笑いものになり、信用を失うでしょう。これは民主党政権だから起こったのでなく、やはり社会の規律の弛緩だろうと思います。昭和初期の時代に、これと良く似たことが起こりました。軍内部の統制がきかず、若い将校が暴走したのです。そして、軍の統制を重視するグループが実権を握り、日本を破滅へと導きました。
 
 こんな難しい話はやめにして、今日は教会に行ったので、そこからおじさんのマンションまでの道すがらの報告です。教会のある繁華街は、おじさんの街一番の繁華街です。中国語で「ジョウホンベイ」と言います。この街の解放を記念する碑があるのです。総領事館もこの地区にあります。
 
 そこから最近きれいになったバスで1時間くらいでおじさんのマンションのある街です。教会のある地区は半島状に突きだしています。その先端が二つの大きな江の合流地点です。この繁華街を出てしばらくすると、医科大学付属子供病院があります。ここは、日曜日に多くの患者さんが詰めかけていつも渋滞します。
 
 その隣に文化宮とよばれる、こどもの文化センターがあります。ですから、このあたりは子供が大勢いるのです。それを目当てに露店があります。風船を売ったり、おもちゃを売ったりしています。ここは教会のある繁華街から、バスで15分くらいのところです。また。その先には児童少年図書館もあります。これも4階建ての立派な施設です。
 
 そこを過ぎると、今度は昔の城の跡があります。三国志の時代おじさんの地区は「蜀」の国に含まれます。その中の「巴」という地区です。ですからこの城は「巴城」ということになります。現在は城壁だけがあって、そこには戦う兵士のブロンズ像が置かれています。城壁の下ではしごをかけて登ろうとする兵士や城壁の上から弓で射る兵士などの像です。もちろん、この城ができたのは、三国志の時代よりずっと後です。
 
 一度この城壁に登ってみたのですが、下から見るとそれほど高くないのですが、上からみると結構高さがありました。日本では城の石垣は良く見ますが、城壁は余り見ません。ここの城壁はもちろん西安の城壁のような立派なものではありません。せいぜい出城か砦の城壁と言ったところです。
 
 その先には、地元喜劇劇団があります。劇場もあるようです。最初なんの劇場かと思ったら喜劇劇団でした。後は、中規模の繁華街が2つほどあります。そのうちの一つはそびえるように大きな病院があります。これは医科大学の付属病院です。
 
 更に先には、2年くらい前外交評論家岡本征夫氏が講演にきた、行政学院(党学校)があります。ここは党の重要な施設なので、とても警備が厳重です。党関係の施設は概して警戒が厳重で、市の党委員会の正門の警備員は、拳銃を持っています。行政学院(党学校)はそれほどでもありません。警備員が拳銃を持っているのは、軍関係施設以外では、この党委員会と公安局(警察)だけです。
 
 教会の帰りはほとんど寝ています。今日はツマクマは不調でおじさんだけ行きました。あすまで休日なのでのんびり過ごします。