新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

強い社会と固い社会

 今日は朝から1日中結構強い雨でした。それにいよいよ冬に突入と言ったところです。それでも昼間は暖房は不要です。さすがに、中国内陸部とは言え、緯度は奄美大島と同じくらいなので、寒さにも限度があります。
 
 今日は日曜日なのでいつものように教会へ行きました。今日の説教者は若い伝道師さんです。この教会所属ではなく、他の教会から来て説教しているのだと思います。中国も日本と同じで2種教職制です。伝道師と牧師の区別があります。(週報にちゃんと名前の後に○○伝道師とか○○牧師と書いてあります。)
 
 中国では教会の教職をどのように養成しているのか不明です。寡聞にして、中国の神学大学について知りません。まさか国立(直轄大学)や公立大学に神学部があると思えないのでどうしているのでしょうか。各種学校のような形で神学院のようなものがあるのかもしれません。
 
 服装などは日本のある種の教会の牧師さんと同じです。(おじさんの日本の教会も今行っている中国の教会もプロテスタント系です。)ちょっと詰襟風で、首のところに白いカラーがのぞいているタイプです。アメリカなどの牧師さんもそのスタイルです。聖歌隊も日本やアメリカと同じスタイルです。どうもいろいろ教会を見学したりした中で思うのは、中国の教会はアメリカの伝道師が中心になって作ったような気がします。
 
 さて、今日は強い社会と固い社会です。これはある作家の言葉を転用したものです。その作家は組織を「強い組織」と「固い組織」に分けていました。さて、「強い社会」とは競争に勝った者が優位に立つ社会です。アメリカがその典型です。競争に負けた者は脱落していくのです。この社会の良さは常に優れた物が作り出されるということです。生産性も高いです。なぜなら生産性の低い部分はどんどん切り捨て行くからです。
 
 今盛んに言われている規制緩和や自由競争はこの社会を作るのが目的です。日本の歴史で言えば、戦国時代や明治維新の時代がそうです。日本の歴史を見ると、その前は必ず固い社会なのです。近世江戸時代は、戦国時代の「強い社会」を「固い社会」に変えたのです。固い社会は競争による発展より、固定化による安定を求める社会なのです。
 
 戦国時代は競争に負ければ死と滅びが待っています。皆自分の持つ能力を最大限発揮してチャンスをつかもうとしたのです。そして、時代はそれを必要としました。明治維新の時代もそうです。ただそのための前提条件として、全ての価値が崩壊し、社会が流動化した時にだけ可能なのです。(敗戦後の一時期もそうです。)
 
 強い社会の欠点は、固い社会にはならないということです。つまり強い社会は常に勝つか負けるかの競争をしているので、極めて不安定な社会なのです。昨日の友は今日の敵状態です。日本のような島国では、このような不安的な状況は息が詰まってしまいます。
 
 徳川家康の政策は競争をやめ、その代り安定した社会を作ろうとしたのです。身分の固定化もそうです。今政治でも教育でも格差の固定化が問題になっています。戦後すぐの時代は強い社会が必要だったのです。敗戦で全ての価値が崩壊したので、実力のある者がのしあがることができました。
 
 しかし、今は価値崩壊の時代ではありません。このような時代に強い社会を望むのは難しいでしょう。それに徳川250年のDNAは日本人の中に強く残っています。中国も基本的には固い社会作りを目指しています。その証拠に現在社会保障制度の確立に向けて頑張っています。アメリカで医療保険制度に反対が集まったのとは全く反対です。
 
 ですから、今日のあるサイトで終身雇用制度を廃止しろという主張がありましたが、それは無理です。なぜなら日本は民主国家なので、選挙があります。ほとんどの国民は少数の勝者が突出する社会より、大して進歩はないが安定した社会を望んでいるのです。終身雇用制度を廃止し、農業も自由化して国際競争を勝ち抜けと主張する政党は選挙であっと言う間に敗北するでしょう。(もちろんおじだんもそんな政党に投票しません。)中国でもそうです。今一番の人気職業は各種公務員です。大学構内は公務員試験受験講座のビラで埋め尽くされています。公務員受験のための模擬面接会もあります。
 
 確認はしていませんが、中央政府派遣「村官」試験というのもあります。もしかしたら、村役場の職員を中央から派遣するのかもしれません。そのようなものでも、大人気なのです。東アジア(中国・日本・韓国など)はやはりお役人や大企業優先の安定志向社会なのだと思いました。
 
 明日まで休業日です。今日はこの後夕食を食べて、また少し期末試験問題を作成します。明日も同様です。