新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

就職活動の思いでー失敗編

 今日は久しぶりの晴天で嬉しいです。いつもは朝濃霧で午後から晴れのパターンなのですが、今日は朝から晴れだと分かる天気でした。校内では一斉に学生さんが布団などを干して太陽にあてていました。その場所が何とバトミントンのコートなのです。さすが中国だと思いました。植木に毛布をかけているのも見かけます。
 
 おじさんは午前中の授業が終わってすぐ、シーツを洗って干しました。といっても洗濯機の調子が悪いのかやたらに大きな音がするので、途中で洗濯を中止して干しました。大学の備品なので壊すと面倒なので困ります。中国では普通に使っていても故障するのは当たり前なのです。(去年の秋に新品が入ったのですが)
 
 さて、今日本では第二次就職氷河期と言われています。深刻な事態のようです。そこでおじさんも自分の就職活動を思い出して書いてみました。さんざん自慢話を書いてきたので、今日は就活失敗の巻としました。さて、どんな失敗なのでしょうか。
 
 まずおじさんは大学3年の時から、卒業後は教育関係と進路は決めていました。当時は指定校制の上に学部指定もありました。それに、文学部国文科卒業ではマスコミ(新聞社や雑誌社)以外はスーパーなどしか就職できません。たとえ高度成長時代と言っても民間での就職は困難だったようです。
 
 おじさんたちよりはるかに勉強しない経済の学生さんはすいすい大企業に決定していました。ところでおじさんはと言うとまず教員採用試験を受けました。当時おじさんの県は産業構造の変化で、人口が減少し地域間の異動も難しくほとんど教員採用はありませんでした。(後に大企業の行った経済の友達はリストラされ、地味な教員を選んだおじさんは定年まで生き残り、今は中国の大学とはいえ大学教員ですから運命は皮肉です。)
 
 それで、大都市を受験することになり、受験旅行へ出かけました。最初は5年間勤務した県です。ここは本命で高校国語を受験しました。次は名古屋市の中学国語だったのですが、ふとそうだ京都市なら一生京都観光ができると不埒なことを考え、日程もよいので、京都市の中学国語を受験しました。すると京都市は一般教養の試験があって、すっかり忘れた数学や理科の問題もありました。見事不合格です。名古屋市は合格しました。
 
 それでやめればよいのに、今度は長崎観光もかねて長崎県の高校国語も受験しました。母親から「親のお金で観光に行くつもり」とまで言われたのを、うまくごまかして行きました。ばっちり出来たと思って報告したら、親から「出来た出来たという時ほど駄目だよ。」と言われました。はたしてその通り、不合格でした。
 
 当時地方から東京に出て受験すると旅費の他に日当もでました。それで悪友に誘われて冷やかしで製薬会社のプロパーの試験を受けました。ところが見抜かれたのか旅費実費しかもらえずがっかりでした。でも美味しいホテルのレストランでランチだけ食べさせてくれました。(確か九段のホテルだったと思います。)もちろん結果は不合格です。
 
 国家公務員上級の教育職も受けました。これも一般教養の試験を受けているうちに、全然分からないので試験中眠くなって寝ていたら、監督の方から「気分でも悪いのですか」と言われました。結果は言わなくても分かる通りです。家庭裁判所の調査官も受けようと思って、願書を請求したら、まだできていないとのことでした。考えてみたら難関の試験なので受けても駄目だと思い、そのままにしていたら、向こうから願書ができましたよと連絡が来てまた恥をかきました。
 
 地元の中学国語の試験も筆記に合格しました。それで、面接に行くと10人のうち男性はおじさん一人でした。教職は男性をほしがると聞いていたので、合格確実と思ったら見事に落とされました。大学院も東京の帰国子女が行くカソリック系の大学院は合格しました。おもしろかったのは、筆記試験が終わって、面接までの時間大学院生研究室で皆待っていました。すると何となく親しくなって、自己紹介をしたり、試験について意見交換したりしました。
 
 そこには何とおじさんの大学の先生の弟さんがいたりして盛り上がりました。ここを受けたのは外国語が当時二つ(英語とドイツ語又はフランス語)なのに英語だけでよかったからです。当時はやった「ツタのからまるチャペル」の雰囲気の大学でした。合格しましたが色々考えていきませんでした。都立大学(現首都大学東京)も受けましたが、不合格でした。やはり本気で受けないとだめだというのが教訓です。合格した大学院は英語が難しいので有名なので、一生のうち一番英語を勉強しました。(研究社の新書版の英語テキストを20冊くらい読みました。最初は英語イソップ物語から初めて最後はヘミングウェイ老人と海を読んでいました。)
 
 考えてみれば結構試験に落ちたものです。散々日本全国受け回ったのに、合格したのは、某県の高校と名古屋市の中学と大学院が一つでした。そうは言っても、どれだけ合格しても選べるのは一つだから同じですが。次回は就職活動の思いでー面接編です。
 
 あすも午前中授業だけです。