新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

日本概況報告ー中国で日本史を教える

 今日で今週の授業もおしまいです。やはり木・金の二日は疲れます。今日も午前中D区で中級作文1コマ(45分×2)午後はA区で総合日本語1コマ(45分×2)です。中級作文は先週から議論する文章をやっています。今使っているのは、数年前の早稲田大学の法学系大学院の口頭試問の問題です。
 
 さすがにおじさんの大学の学生さんだけあって、結構内容を理解してくれています。どんな問題かはまた別の機会に書きます。中国の大学生(あるいはおじさんの大学の学生さんだけかもしれませんが)はどちらかと言うとちょっと難しめの内容の方が好きなようです。
 
 基礎基本からやろうとするとつまらなそうな顔をします。それで去年あたりからちょっと内容を高めに設定して、出来上がりはちょっとまずくてもほめるようにしています。優秀な学生が多いので、ちょっと難し目で引き上げる方が良いように思います。
 
 さて、本題ですが、今日本概況(日本のことを教える科目)で歴史をやっています。日本のことを理解するためには、日本地理と日本歴史、それに日本社会の構造(司法・立法・行政の仕組み)を教えなければなりません。しかし、日本の歴史を中国で教えることは、地雷原を歩くようなものです。
 
 それに使える時間はわずか5コマ(45分×10回)です。たった10回で縄文時代から現代までやらなければなりません。ですから日本での授業のような訳にいきません。そこで、それぞれの時代の発生と衰退そして中国との関係、さらに大きな内戦や対外戦争に絞って授業をしました。
 
 原始時代では、とにかく旧モンゴロイド縄文人)も新モンゴロイド弥生人)も朝鮮半島や大陸からやって来たことを説明しました。つまり遠い祖先は皆さん中国人と同じだと話したのです。それから、中国との関係です。中国の古い歴史書に出る日本の話し(倭人)です。
 
 古代王朝(天皇の誕生)から奈良時代まではすっとばしです。ただここではあの「白村江の戦い」だけは触れました。なぜなら日本の歴史最初の対外戦争だからです。平安時代では唐の文化の導入の話しとなぜ天皇中心の政治から貴族中心の政治になったのか、また武士の誕生と武士政権成立の由来などです。
 
 原始古代・中古それぞれ1時間です。中世は一気に戦国時代までやりました。ここでは、日本最初の本格的内戦(源平の合戦)と日本最初の外国侵攻(元寇)が中心です。さらに2回目の内戦関ヶ原の合戦です。戦国時代では、3人の武将の話しです。(信長・秀吉・家康)信長はこれまでの社会を破壊し、秀吉が社会をまとめ上げ、家康が社会を安定させた話しをしました。秀吉の朝鮮出兵が2回目の対外戦争だと話しました。
 
 近世と近代はまとめてです。近代はご存じのように中国との戦争の歴史ですから、できるだけ事実だけ(中国と戦争したこと)にしました。近世では鎖国が中心です。鎖国が日本人の精神に与えた影響についてやりました。近代はなぜ日本だけがアジアで近代国家に慣れたのか、理由を説明しました。さらに、なぜ日本は太平洋戦争に突入したのか、またなぜ敗れたのかについて簡単に説明しました。
 
 戦後については最終授業です。ここでは、なぜ焼け野原になった日本が復興できたのか、また戦後改革で日本がどのように変わったのかが中心です。おじさんは、日本の繁栄の原因はいろいろありますが、やはり戦後改革が大きかったと考えています。詳しく書くと歴史の専門家からいいかげんなことを言うなと怒られるので、とりあえずこんな風に授業をしたことだけ報告します。
 
 今のところ学生さんから反発はないので、一安心です。明日はいろいろ頼まれた課題をこなして、先日書いたおいしいパンを買いに行きます。