新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

授業報告その他

 昨日から今日の朝にかけておじさんの街は急速に冷え込みました。天気予報では最低気温が0度となっていたのですが、大げさだと思っていました。おじさんの住む街は中国西南部(上海から飛行機で2時間半かかります。)で、緯度で言えば日本の奄美大島くらいです。そこまではいかないまでも鹿児島くらいの感じです。
 
 ところが何と朝のバスから外をみたら、山に雪がうっすら積もっていました。その山は以前登ったことのある山でせいぜい標高は400メートルと言ったところです。頂上まで階段がついているくらいの山です。(ロープウェイもあります。)朝7時半のバスに乗るので、マンションを出るのは7時ちょっとすぎです。そのくらいの時間はおじさんの街ではまだ暗く辺りが良く見えないのです。
 
 ところがバスに乗ってしばらくすると皆窓の外を見ていました。おじさんも何だろうと思って見ると雪でした。ニュースでは市街地で雪が見れたのは9年ぶりだと言っていました。おじさんと市内でも結構高い山があるので、そこでは毎年雪が降るようです。午後からは天気になりました。
 
 授業の方は日本概況が終わりました。日本でも前期の授業の標準は15時間だったような気がします。こちらも15時間で終わりです。先生方によってはすでに試験をしている人もいます。ですから校舎内の学生さんも思いなし少ない気がします。
 
 日本概況の歴史をやって分かったことは、日本は本当に平和な国です。縄文時代から現代までのうち、対外戦争はごくわずかです。日本から外国へ出て行ったのは、日本側の記録に残っている最初は白村江の戦いです。これは何と万葉集の時代です。次は遥か時代が下って、秀吉の朝鮮出兵です。もうその次は日清戦争です。(台湾出兵とかありますが、本格的なものだけ)近代以前であれば、たった2回です。
 
 逆に外国が攻めてきたのはもっと少ないです。ご存じの通り1回目は元寇です。次は何と第二次世界大戦までありません。(刀伊の入寇などは小規模なので除きます。)国内の大規模な戦争も同様です。国を二分する内戦と言えば、まず古代では壬申の乱です。次は遥か後の源平の合戦、次は応仁の乱から関ヶ原の合戦で終わりです。
 
 江戸末期の戊辰戦争などは、関ヶ原の合戦の規模と比べると相当小規模です。最後はご存じ西南戦争です。東西対決が多いです。源平の合戦で言えば、西の平家と東の源氏、ご存じ関ヶ原の合戦も東軍対西軍ですし、後半の戊辰戦争も西の薩長土肥と東の幕府・東北諸藩です。西南戦争も西の鹿児島対東の東京です。
 
 日本の文化も東西で分かれているのは良く知られています。おじさんは西日本なので東日本とはお醤油も味噌も違います。大阪で代表されるあの甘いきつねうどんが大好きなのです。東京に行って困るのは、まっ黒な中に入っているそばです。東京では、うどんはマイナーです。以前信州にスキー修学旅行に行った時、駅で食べた立ち食いそばは、まっ黒なお汁のなかにそばがありました。
 
 おじさんたちからすると、うどんやそばのお汁(だし)は透明で、うどんやそばの姿がよく見えるのですが、そこのそばは、墨汁のようでそばの姿がみえませんでした。余りのことにびっくりしたのを覚えています。西日本ではうどんの汁は飲むものですが、どうも東日本はちがうと聞いたことがあります。
 
 逆に東日本の人は、あんな甘いお汁では、そばを食べた気がしないだろうと思います。ある時、豆知識のようなものを読むと、インスタントうどんやインスタントそば(商品名を書くとまずいのです書けませんが、きつねさんの宣伝のインスタント食品のことです。)などは、カップにw(ウエスト)あるいはE(イースト)と刻印するのだそうです。
 
 もし間違って出荷したらクレームがじゃんじゃん来て大変だと思います。もしかしたら都市伝説かもしれませんが。確かめたことはありません。今日は卒業論文のテーマの一次締め切りでした。もうすこしテーマを変更する猶予期間があるようです。今日も3人の学生さんと面談しました。大体テーマについては決まったようです。
 
 帰国のチケットも予約して、すでに期末状態に突入です。ただ今年はクリスマスも正月も一人でマンションの部屋で過ごします。クリスマス礼拝は12月19日にあるのでそれは教会へ行きます。明日は夜外国語学院の外国文化祭の閉会式があるので出席します。明日も午前午後と授業で夜はそのイベントに出席するので大変です。