新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ご挨拶と大伴旅人について

以前使っていたヤフーブログが使えなくなると聞いたので、こちらにきました。と言っても息子がこのサイトを作ってくれたのです。

 おじさんも71歳になって余り書く余力がなくなって、しばらくお休みしていました。折角息子がサイトを作ってくれたので今日は記事を書くことにします。

 以前も書きましたが、9月の最終土曜日から月3回文化サークルで教えることになりました。日本の古典文学入門です。

 初回は令和の元となった梅花の宴についてです。この歌は知ってはいましたが、読んだことはありませんでした。皆さん令和の元については興味がおありだろうと思って調べてみました。

 中心は梅花の宴を主催した大伴旅人についてです。もちろん、以前から彼のことは知っていました。と言っても彼の個人的な側面です。彼は酒をほめる歌を残しています。酒壺になりたいとか、酒が飲めるなら死んだ後鳥でも虫でもなっていいと言ったりした酒豪です。

 同時に亡くなった奥さんのことを悼む(いたむ)歌も残しています。こちらは教科書に載るくらいの名歌です。

 今回驚いたのは彼の公人(官人ー官僚)としての面です。彼は大宰府長官(帥ーそち)で中央官庁でいえば大臣クラスです。

 ところが宴会の出席者の一番下のランクは何と今でいえば契約社員のような人もいるのです。官人の最高ランクは正一位上です。一番下のランクは大初位下です。このランクの歌人もいました。今でいえば事務補助員のような立場です。(少令史)

 まるで釣りバカの世界です。はるか雲の上の高級官僚と駆け出しの役人が歌と言う世界でつながっているのです。社長と平社員が釣りの世界でつながっているのと同じです。警察でいえば管区警察局長と巡査が一緒にお酒を飲むようなものです。

 また参加者は何と福岡県内(筑前筑後)はもちろん遠く薩摩大隅(鹿児島県)、さらには壱岐対馬の地方官も参加しています。

 彼は九州全土の地方官(国司)に出席を命令することができるほどの権限があったのです。旅人の大宰府派遣については左遷説もありますが、仮に左遷であっても、彼は意気軒昂(いきけんこうー元気もりもり)で歌に励んでいます。

 彼のいた頃の大宰府は文学の世界でも筑紫歌壇といわれる歌の一大中心地だったと言われています。大学の頃その話を聞きました。ただその構成員については知りませんでした。今回勉強して驚きの連続です。

 真理は些事(細部)に宿ると言われます。今回の勉強で大伴旅人という人物が良く分かりました。こんなことを講座で話すつもりです。第2回は恋をテーマに万葉集からお話します。次回また元気があれば報告します。